2023年1月21日土曜日

あれから

 大哲君が亡くなり7年が過ぎました。

あらためて大哲君のご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます。

思い起こせば当時トランスファーといわれる他競技から転向してきました。

おそらく最も成果を上げたのが彼でした。

(大哲君以降、箱根駅伝で活躍した選手や5000m13分台の選手でも代表に出れたことはありません)

海外レース派遣の記録会を早々に突破し、酒田でのU23日本選手権でバイクスタート,

1分以上のハンディを挽回し、ランでは独走優勝。U23日本団表選手としてアメリカ・シカゴ

での世界選手権に挑みました。
※大哲君以降、。箱根駅伝活躍した選手や5000m13分台の選手でも代表に出れたことはありません。

今でも勝利の雄たけびの様子、インタビューでの私との師弟関係の話、今でも熱いものが

上げ、つい昨日のように覚えています。

今は大哲君のご冥福をお祈りすると共にご遺族皆様に謹んで哀悼の意を表します。

そして、これからも夢を叶える選手、夢を叶えるチーム作りに邁進してまいります。