2024年2月10日土曜日

駅伝今昔物語、その2


ブログをご覧に皆様、おはようございます。今朝の今治は薄日が差す曇り空。明日は愛媛マラソン。2010年に走りましたが、それっきりになっています。ゆっくりのんびり走る事は出来ますが、試合となると・・・・。そのうちということで!

 さて、先週に続き、駅伝今昔物語、其の2。
高校での最高成績は県大会2位。記念大会開催ルールがもう少し早かったら、北信越ブロック大会も3位?だったので幻で終わってしまいました。
大学を目指すも怪我をしてしまい、ゼロではなくゼロ以下からのスタートが待ち受けていました。受験勉強とアルバイト。ところが練習を頑張れば頑張るほど血尿が酷くなり受験勉強中も原因不明の腰痛に悩ませされました。
原因が分かったのが大学2年生に上がる春。専門医を探し当て、2週間の療養生活。退院して練習に復帰すると監督から怒鳴られました。
ここでようやく目が覚めた感じでした。Cチームからのスタートでしたので、北海道合宿は遠い遠い遥かな方の方向でした。奥日光は大学施設の学生マネージャーと選手だけの合宿では練習ポイント制を提案して、JOG以外の練習では常に上位で終わるように心掛けました。

 この年、14人のメンバーに選ばれました。当日変更がなく箱根は次年度の最大目標となりました。
3年生となり上級生は中学・高校のライバルだった同世代。やりにくかったのは先輩も私も同じでした。そんな中、区間配置で2区が同学年で前回9区2位の橋本君が入り、私は9区に決まりました。
箱根を目指した当初は山登りの5区。ところが次第に気持ちに変化が起き、走れるならエースの2区となっていました。
上級生に相談し、同期の橋本君とも話し合って2区変更を監督へ申し入れに行くと、意外にも『だったら行け!』思わぬ返答に拍子抜けしましたが、人生初の箱根で2区デビューが決まりました。
今思うと、苦学生(箱根とアルバイトと学業の掛け持ち)で、夏の北海道を辞退。
監督に行けない事を伝えると、『金は要らないから、来い!』と言われたり、札幌ではただ一人?呼び出され、監督の晩酌の相手になったりと大人みたいな付き合いをさせてもらっていました。
今なら考えられない学生ですね。大八木さんや原さんならどう受け止めたかな。
結局、大学3・4年と2区を走らせてもらえる事になるんですが、4年生で主将の時も区間変更を申し出ていました。この時流石に呆れられました。
大変な学生時代でしたが、いまだに後輩学生とご縁があり、全国至る場所で呑み仲間に恵まれ幸せ者です!

 次回は人生初の当日変更の今昔物語です(最終編)今朝の2📸。久々に見つけた自然の芸術と開花しましたよ!