2024年2月17日土曜日

駅伝今昔物語(最終回)


 ブログをご覧に皆様、こんにちは!今週も話題が沢山ありました。

週明け、マラソン男子世界記録保持者ケルビン・キプタㇺ選手の交通事故。衝撃が走りました。
人類史上初の2時間切りへの可能性を最も秘めていた選手。非常に残念です。あの時の悔しさに近いものを感じてしまいました。
木曜日、春一番が吹きました。菜の花もいたるところで見るようになりました。故郷・新潟ではフキノトウも出たところがあるそうです。足早に訪れる春に向けて、気持ち早めの準備をした方がいいかもしれません!

 さて、私の駅伝今昔物語の最終回、社会人編。
デビューの実業団駅伝。創部4年目ながらも先輩には、中山竹道さんの練習相手(現在の総監督)の福嶋正さんや順天堂黄金時代のメンバー仲村明さんや鈴木賢一さんなど日本を代表する方をはじめ、同期はトラックや主要大学駅伝区間賞の成績を引っ下げたつわもの達。
学生時代は自ら先導して引っ張る事が多かったですが、練習ゴールを先頭で上がる瞬間すらもらえないチームでした。それでも在籍中の4年間、走らせてもらえたのは本当に感謝です。日々、競争でしたが充実していました。
社会人2年目あたりに全国都道府県対抗男子駅伝が始まりましたが、マラソンにも取り組みだし、走ったのは新潟に戻ってチーム立ち上げの一人になってからでした。
30歳を過ぎ、アキレス腱炎症が酷くなり手術も経験しました。今みたいな知識があれば、走力の低下も少しは防げたと思いますが、走ることだけに気を取られ練習を休む罪悪感に苦悩したころでした。今でこそ新潟出身の選手が箱根にもたくさんいますが当時は数名。その一人が好調だったために広島に行ったものの走る予定ではありませんでした。
開会式も終わり、メンバーが正式決定したこともあり、監督から『明日は使わないからゆっくり過ごしてくれ!』と言われましたので、2区を変わってくれた橋本君(広島出身でNTT中国で走っていました)とお好み焼きを食べに出かけました。
21時を回った頃でしょうか?監督から電話が入りました。
『相澤、悪い、明日走ってくれ!熱発の報告が入ってダメなんだよ。タクシー代出すから、今から戻ってくれ・・・・』
酔いがさめるというのはこの事でした。
翌朝の当日変更、私一人。目立ったこと目立ったこと。最初で最後の当日変更。結果は・・・・。順位を大きく落とさなくてホッとした記憶しかありません。

 駅伝って何が起こるか分かりません。人生みたいなところもあるような・・・。ただ、強く願って努力すれば叶う世界で頑張れたことは自身の財産となりました。
簡単にいかないのも人生かもしれません。最近、もうひと頑張り挑戦する気持ちも沸々と感じております。

今朝は蝋梅。花言葉は『慈愛』これからは自分に目を向けて歩んでみます!