2024年2月3日土曜日

駅伝今昔物語、その1


ブログをご覧に皆様、こんばんは!

埼玉・森林公園に続き、この場所を訪れるのもこれが最後になりますが、季節は真冬。明日はマイナス11℃だそうです!
勝ち目はないけど、負けずに?練習します。早速、室内トレーニングルーム向かうと競泳選手が沢山いました。
その中に変わったシューズを履いた選手が一人いました。
興味本位で話しかけてみると、会話が弾む弾む。競泳選手とこれほどシューズの話で盛り上がるのは初めてです。
練習が終わって帰ろうとすると先方から『良かったらまたシューズの話を聞かせてもらえませんか?』。なんだか嬉しくなりました。やっぱり現場の空気というか、次世代選手が頑張る姿を間近で見るのは自分の居場所だな~!って思います。

 駅伝が終わったと思ったら、先週の大阪国際女子マラソンでは19年ぶりに日本記録が更新されました!国体女子練習会でしたがゴール前の3分間、車載テレビを観ってしまい動けませんでした。
素晴らしい瞬間に立ち会えたような気持ちになりプールのサポートに戻ると、興奮状態でタイムを読んでしまいました。
それが彼女たちに通じたようで、尻上がりにタイムを⤴。相乗効果ではありませんが、今回も良い練習会になりました。

 さて、箱根駅伝の番組を見ていると『箱根今昔物語』というコーナーがあります。
今回は100回大会という事で直前番組や終わってからの裏方にスポットを当てた番組も面白かったですね。
いつか出れないか!と思っていますが、100回大会の特集でもダメでした。
私が走った時は、城西大学櫛部監督が2区でフラフラながら辿り着いたあの場面。
戸塚の登坂は冗談じゃなくきついんです。14位でタスキをもらい(当時は15チームの参加枠)、7位まで上昇!そこのいたのが彼でした。
肩をたたいて励ましたらいいのか?とも思いましたげ、1秒でも早く襷を渡したかったので、脇をすり抜けて走りました。
肩をたたいていたら、特番に映れたかも・・・・。

私の『駅伝』は偉大な兄二人の後追いから始まりました。
高校や中学で陸上部でもない二人の兄が駆り出される駅伝がとても格好よく、憧れでした。
それを父親が誉めたてる光景・・・・。国民放送の朝ドラのようなオールウェイズみたいなセピア色のAREです、ARE!
以来、すっかり駅伝のとりこになるんです。
憧れの中学駅伝デビュー前に水疱瘡にかかり、1週間の自宅隔離生活・・・。
全国中学選手権で歴来3位のタイムを出しながら、夢の舞台が消えていきそうでした。
学校に復帰したので3日前。教務室に呼ばれ顧問の林平先生や佐藤コーチから『どうだ、Aチームじゃないけど、Bチームなら走れそうか?』
一瞬、何を言われている理解できませんでした。しかも1㎞平坦、2㎞は峠越えの難コース。
夏休みが終わると試走を繰り返し、走力やコースの適性、ライバルチームとのレース展開で区間が決まる箱根と同じ世界です!
コース試走もなく、まさしく本番1発勝負でした。
が、区間新記録でBチームを3位に導く山の怪童のデビューとなりました(ちっと大げさ?)
以来、トラックレースと共に駅伝は人生を賭けた生き様のような存在になりました!

来週は選手選考の裏話。ご期待ください。
今治は菜の花が咲き、我が家の玉之浦は開花間近です。(外側を白く縁取るのが、玉之浦の特徴なんです!)
ここは・・・・。